和尚のひとりごと

曹洞宗 島田地蔵寺 「和尚のひとりごと」です。
玉子はカラまで食ってしまえ

「卵はカラまで食ってしまえ」

鳴海の旧東海道沿いに「瑞泉寺」という古刹がある。昭和の前半までは三十人もの修行僧が過ごす僧堂で、今もその雰囲気が残っている。地蔵寺の先代は十六歳から徴兵されるまでここで過ごし、ここでの出会いが、一生を左右したようで、よく思い出を話している。
指導者の覚悟
僧堂には午前四時からの坐禅はもとより、一日の作務、参学(講義)、生活一般まで雲水と一緒に過ごす「師家(しけ)」と呼ばれる指導者がいる。
ある時、門前のおばさんが「雲水さん、これ」と言って「生卵」を持ってきた。僧堂では禁物であるが、空腹には勝てず、皆で食べてしまった。当時の残飯始末は、「掃きだめ」である。裏庭の奥に穴を掘って、そこに溜めて埋める。

その朝、いつもは表門から堂々と入って来る寺の総代さんが裏庭から現れ、「掃きだめ」をじっと見ている。と、そのまま師家の部屋に入って行く。雲水に激震が走る。全員が聞き耳を立てる。総代さんの小言が大きく聞こえてくる。
翌朝、いつものように坐禅が始まる。昨日の師家は何も語らなかった。静寂とは言え平生とは異なる緊張感が漂う。やっと師家が口を開く。
「卵を食べるなら・・・殻まで食ってしまえ」。
前日、総代さんの前で頭を下げた師家のことはみな知っている。この言葉は、「証拠を残すな」とか「責任を取れ」という次元の言葉ではない。「俺がカラまで食ったからな」という師家の言葉であり、修行僧に対する激励である。日頃の師家の生活と指導を知る雲水は涙が止まらなかった。
禅宗は「不離叢林(ふりそうりん)」
叢林とは僧堂の事で、ここでの生活を続け、離れても、心はいつもこの日々を忘れるなということ。この師家は「おごらず飾らず偽らず」という風貌だったと伝わる。このもとで過ごした雲水は幸せだったと思う。
戦火が激しくなる頃、僧堂とて例外ではない。が、ここには心を洗ってくれる師家がいる。
師僧は兵役に就き、多くの戦友を亡くしながら帰郷する。戦後も平穏ではなかったが、皆さんに助けられて生涯を全うする。これも瑞泉寺の生活を基礎に置いていたからと思う。時折、手を合わせながら話す僧堂指導者の名は牧野秀孝老師という。
2023.9 彼岸会


日時 2023年09月06日 10:02 | 分類項目: 和尚のひとりごと | 固定リンク(この記事のURL)


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