和尚のひとりごと

曹洞宗 島田地蔵寺 「和尚のひとりごと」です。
もう一度会いたい

「母を献体した」というご家族と遺体のない葬儀をした。故人は義理堅くも固執するような方ではなく、崇高な考えも持ち合わせる方だったから、献体と聞いても違和感はなかった。
その遺族から、「病院から、お返しますという文書をもらった」と連絡があり、「火葬場に午前九時と書いてあるから、和尚さんも来てほしい」といわれた。都合をつけて午前八時半に行くと遺族はもう着いていた。係に案内された控室で思い出話をしていると、定刻の十分ほど前に、ネクタイを締めた正装の先生がいらした。そして「献体」に感謝を述べられ、丁重に扱った由の説明をされた。遺族も静かに伺った。
一段落すると時計に目を移され「間もなく火葬は終わります」といわれた。
その時、遺族も私も、その意味が分からなかった。しばらく沈黙して遺族が口を開いた。「もう火葬になっているということですか」と。「はい、午前七時半から」。

遺族の困惑が手に取るように分かった。もろろん、死後一年半を経過した遺体を見たいというわけではないが、きっと丁寧に包帯で巻かれて棺に納まっている、そして、棺に手を添えて「お母さん」と最後の声をかけ、読経に送られて母を見送るとイメージしていたに違いない。
私は遺族を代弁することにした。「先生、ご遺体はまだあると思って、お別れに来たのです。お骨の引き取りだけに来たのではないのです」と伝えた。遺体も研究の材料と思えば「物」であるが、遺族には生きた証なのだ。
私の代弁はよく理解していただけなかった。「そうしたご意見があることを伝えます」。
 ともかく、最後の別れに強制的に間に合わせてもらえなかったような、そんな感じがした。
 確かなのは、人は「死者は尊厳を持って送りたい」と考え、ご遺族はそれを果たしたくて数珠を手に火葬場に集まったのである。
「葬儀」は、「また会いたい人の会」ということ。
これは最近強く感じている。
先月、とてもお世話になった方が亡くなった。葬儀の日程は聞いたが、参列する気になれなかった。遠方ということも理由だが、晩年の彼の生き方に私は納得していなかった。つまり、「また、会いたい」という対象ではなかった。
ところが、その先々月には十年も会っていない友人の葬儀に駆けつけている。行っても会話はできないことは分かっている。それでも出かけている。理由はもう一度「話をしたい」と思ったから。
「また、会いたいね」という因縁を現世で作る。これが来世に続く縁づくり・・・・と思っている。
  住 職


日時 2019年11月01日 22:25 | 分類項目: 和尚のひとりごと | 固定リンク(この記事のURL)


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