お知らせ ご報告 地蔵寺

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韓国の花まつり
2011/04/03

ここ数年、韓国の花まつりに出かけています。
本年は5月8日(日)で
5/8から5/10 を予定しています。
参加費 9万円 
子細お問い合わせてください。締切 間近

東北大震災報告
2011/04/02

報告1

東日本大震災 現地報告2
2011/03/30

3月18日(水)
「青春のレコード」は高齢者向き で
 曹洞宗では各県に「宗務所」という事務機関を置いている。宮城・岩手の事務所を伺い今後の方針を聞くことにする。
 宮城県は仙台市にあるが、ガソリンがなくて職員が集まりれないとのこと。所長さんの栗原市に向かう。ここは山よりだが、震度7という最大の揺れを記録した町。ところが、倒壊はないという。従来から耐震対策が進んでいたとのこと。岩手県を経て、「是非行って下さい」と頼まれた陸前高田市の寺に向かう。ここは、60人ほどが避難しているという。
 午後8時着。
 若い住職が先頭に立って生活を見ていた。車を付けて生活物資を渡すと、涙なみだ「よく来て・・・」の後の言葉がない。
思わず、車らに積んであった愛用の昭和40年代のフォークソングCDを渡して「楽しんで」というと「ありがとうございます。宝物にします。高齢の人が喜んでくれるでしょう」
若干、「高齢の人」はひっ掛ったが、こちらもおもわず涙ぐむ。

3月19日・20日 
 宮古から久慈市まで行く。
 途中、拝宿した寺院は避難者に解放されていて、結局マイナス表示の本堂で休むことになった。ボランティアが背もたれのない椅子を3脚ほど連結して毛布をかけて急造の炬燵を作る。これが結構暖かい。今日の報告と明日の予定を打ち合わせる。気が着くと本堂の隣室から明かりがもれている。電気はないので石油ストーブのようだ。「入れてもらえるかな」と思うと、住職さんがご遺族と5人ほどのご遺体があるといわれる。棺もなく、おそらくビニール袋に納められているのだろう。災害から1週間も経過している。黙って休んだ。
3月22日帰着
合計 28ケ寺 避難所も5か所ほど回った。柱にしがみついて助かった住職の話。20秒差で助かった人の話。沖合200メートルの海底をみせられ、大急ぎで高台に逃げた人の話。家族、家「みんな亡くしました」と語る人。
何ができるだろうか。
物資はいろいろな団体から送られている。ふと思ったのは『慰問袋』。メッセージを付けた慰問袋を贈りたいと思った。

東日本大震災 現地報告
2011/03/30

現地に行ってきました。
東日本大震災 報告
救援募金 ありがとうございます。
 地蔵寺に 皆様より 250万円余

 現地 ボランティアに 130万円/ 曹洞宗 寺院復興に 100万円を
 ボランティア活動に 50万円を 委託しました。
住職 現地の被災者に支援物資を届けました。

23年3月11日に発生したM9という大地震とそれに伴う津波災害に襲われた東北関東の被災地を視察してまいりましたので報告いたします。
 
 3月11日 午後2時46分
 東京タワーの先端も曲がる揺れ
 東京の東京タワーの近くに曹洞宗の本部ともいう「曹洞宗宗務庁」という建物があります。住職はそこにいましたが、大揺れはまるで舟に乗っているようなものでした。交通網は遮断され、帰れず、そのまま残った者のもいました。
 住職は三キロほど歩いて、「永平寺東京別院」に帰り、翌朝また歩いて出かけ、途中で見上げた「東京タワー」の先端は確かに傾いていました。
 3月14日(月)
 月曜日になり順次被災情報も入ってきました。名古屋からは『何をしようか』と問い合わせ。被災地寺院とは不通ですが、被害甚大は明らか。すでに衣類集めは始まり、「どこに送ろうか」。早速、曹洞宗とも関係の深い『シャンティ国際ボランティア会』(以下SVA)に連絡しました。
 3月15日(火) 出発準備
 SVAから連絡が来ます。「気仙沼市と連絡が取れ、出かける。ところがレンタカーは貸してもらえない。物資も買占めが始まっている」
 相談して、名古屋で物を購入し被災地に走ることになりました。幸い『緊急車両』の許可を得ましたので、ガソリンは優先的に受けられ、高速道路も走れるとのこと。
 3月16日(水) 暗黒の福島市。
 夕刻、福島市に着きましたが、真っ暗。原発から50キロ離れているのに避難が始まったようです。訪問した寺院住職は「私は残ります」と。そのまま、岩手県一関に向かう。
 3月17日(木)
 破棄される牛乳を持って
 午前1時10分着 深夜にもかかわらず。現地のボランティアが待っていてくれました。早速打ち合わせですが、私(住職)はまるで高齢者扱いで『お休み下さい』、運転手に悪いと思いながら休ませていただく。それにしても寒い。
 長靴の町
朝の打ち合わせを済ませて、気仙沼市に向かう。途中で訪問した寺院の檀家さんから「捨ててしまうことになるから」と牛乳を18リットルポリタンクに10杯もいただく。被災地に届けることになる。
 寺は東北地方の中央部にもかかわらず、玄関は地割れ、壁も落ち、石塔も倒れたまま。
 自動車が数100台、数キロも並んでいる。ガソリンを求める列である。
長くつの町
 午後 気仙沼市着。自動車数台、後輪をあげて重なっている。道路はかたづけられているが、周りは泥だらけ。『津波』は町に数キロも入りこんでいる。16年前の「阪神・淡路大震災」は そこの厚い靴が目立った。今回は「長靴」である。
 気仙沼市の社会福祉協議会の方が迎えて下さった。
 『生きています!』
 SVAは被災者支援の打ち合わせ、私は寺院を訪問することにした。
 陸前高田に向かうが、通行禁止になっている。せっかく名古屋から・・・と思ったが聞いてみると『緊急車両通過可』とのこと。パンクなど心配してもはじまらないと覚悟して車を進める。町は廃材の山である。自衛隊が道路の残廃をあけて、道路を確保して、かろうじて通過るともついに立ち往生。ナビに示される道も橋もない。日も沈みかけて困惑していると、地元の消防団が声をかけてくれて案内を引き受けてくれた。道は大きく崩れて、緊急道路を通った。もし、あの消防団に会わなかったらと思うと背筋が寒くなる。
 やっと、避難者が要るという寺に着いた。
 車を降りると寒気というより、冷気。足元から登ってくる。その中を避難された人が20人ほどたき火を囲んでいた。名古屋からというととても喜んでくれた。ここを第一の拠点とすることにした。
 近くに同級生がいる。8時過ぎにたずねると寺は無事のようだが電気はついていない。
「留守か」とあきらめてインターホンを何度も押すと、電気が着いた。「生きていた!」
「1時間前に電気がついた」とのこと。近くの寺に300人ほど寝泊まりしていると聞きました。
 明日は大船渡市に向かう

東日本大震災 現地報告
2011/03/30

現地に行ってきました。

金太郎稲荷尊天大祭
2011/01/31

2月13日(日)午前10時より午後2時まで。
商業繁栄 学業成就 厄除祈願など
ご参詣下さい。

61 古厩だより 
2010/09/10

2010.秋彼岸 和尚さんの法話 転載

秋彼岸法要のご案内
2010/09/09

9/23.24に行います。
23日は タレント吉沢京子さんを招いています。

お盆の献立
2010/08/10

お盆の献立
地蔵寺 編

お盆の献立
2010/08/11

8/10 地蔵寺の盆施食会には多数参詣いただきありがとうございました。
お盆の迎え方、献立について質問いただきましたので、地蔵寺の内容をお知らせします。

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